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ハイエク『貨幣発行自由化論』要約(2)

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ビットコインの理論的源流として、ハイエクの『貨幣発行自由化論』(1976)が持ち出されることがあるようです。川口慎二さんの翻訳をベースに、この本の簡単な要約を作ってみました。今回が2回目の記事となります。(前回の記事はこちら

ビットコインのシステムが稼働を開始したのは、2009年1月3日です。それから3年以上経った2012年10月に、欧州中央銀行は、”Virtual Currency Scheme”という題で、ビットコインのケーススタディをレポートしています。このレポートの目的は、中央銀行がビットコインによってどのような影響を受けるか、価格安定性、金融安定性などの観点から評価することにありました。欧州では、このようなレポートによって哲学を示し、ユーロ各国の反応を見るという慣例があるようです。

このレポートの”Economic Foundations of Bitcoin”で、『貨幣発行自由化論』への言及があります。そこでは、ビットコイン賛同者による哲学が、3つ挙げられています。
・中央銀行による貨幣発行の独占を終わらせるスタート地点にいる。
・部分準備銀行制度を強く批判している。
・ビットコインは金本位制に着想を得ている。

マネタリーベースが最大2100万BTCに制限されたビットコインは、中央銀行が発行する慢性的インフレ通貨へのアンチテーゼであり、貨幣の世界に競争を発生させました。これを、中央銀行による貨幣発行独占終了の歴史的合図とみなすことは可能です。また、ビットコインは、希少性があり、合成や分割が容易であるなど、金と共通の特徴を持つため、ビットコインに金と同じ役割を担わせるようなことを想像しても構いません。ただし、部分準備銀行制度への批判があるという部分は、残念ながら私にはよくわかりませんでした。

部分準備銀行制度とは、預金の一部を中央銀行に預託すれば、残りの預金は貸し出してもよいという制度です。貸し出されたお金も預金に回されるため、銀行はさらに貸し出すことが可能となります。オーストリア学派は、この信用創造のメカニズムそのものが景気循環の原因であり、銀行による過度の信用創造を抑制するには、金本位制に回帰するのが良いという立場です。ビットコインシステムでは、部分準備BTCによる銀行業が原理的に可能なため、ビットコインの賛同者が部分準備銀行制度の批判者とイコールだと考えることはできません。

私見ですが、ビットコイン経済圏では、銀行業・貸金業が成立し難いと思われます。なぜなら、ビットコインのようなデフレ基調の通貨、借りている間に価値が上がるような通貨を喜んで借りる人はいないからです。貨幣の価値が安定しない限り、部分準備を認めるか否かに関わらず、銀行業そのものが成り立たないように見えます。『貨幣発行自由化論』の第8章では、発券銀行が勝手に通貨価値を引き上げないことを条件に、貨幣を貸出す仕組みが必要だとされています。

それでは、第6章から第10章までの要約をどうぞ。

第6章 グレシャムの法則についての混乱
・悪貨は良貨を駆逐するというグレシャムの法則には適用限界がある。異なった形態の貨幣の間に固定された交換比率が強制されている場合にのみ、グレシャムの法則は有効となる。

第7章 並行通貨と貿易鋳貨についての乏しい経験
・金貨と銀貨が貨幣として同時に存在していた頃、各政府は金と銀の間に異なった交換比率を設定した。他国よりも過小評価された鋳貨は、全て失われる結果となった。
・金は重量基準で銀の15倍以上の価値があり、金を大口単位に、銀を小口単位に使い分けていた。金銀間の価値に変動がある場合、小口と大口は一定の分数にならず、両替が問題となった。
・紅海沿岸地域でのマリア・テレジア・ターラー銀貨や極東でのメキシコドルは、貿易決済で使われ大量に流通した。しかし、我々に役立ちそうな事例は見出せない。

第8章 民間名目貨幣の発行
・世界各所で設立され、自由に銀行券を発行できる発券銀行の存在を仮定する。銀行券の名称や単位名は無断使用できず、偽造からの法的な保護があるとする。
・発券銀行が引き受ける唯一の法的義務は、所有者の選択に応じて別の貨幣に交換することである。発券銀行は、発行貨幣の購買力が一定になるように、通貨量を統制する意図があることを公表する。
・発券銀行は、発行貨幣の価値を一定に保つため、基準となるコモディティを公示する。時と場所に応じて、発券銀行がコモディティ変更の権利を有するような商品準備本位制度である。
・発券銀行同士の競争は、通貨の価値を一定に維持することを余儀なくさせる。厄介なのは、発券銀行が取り扱う限度を越えて需要が急速に伸びることであるが、これも新たな競争により救われる。

第9章 異なる通貨を発行する銀行間の競争
・発行機関が通貨量を統制できる場合に限り、貨幣価値に対する責任が発生する。通貨発行者間の競争により、これまでよりも良い貨幣が提供され得るか考察したい。
・各発券銀行の方が、独占発行者よりも貨幣価値の安定に全力を尽くす。政府がこれまでの発行方法を改めない場合、国民通貨への需要は減少し、やがて消滅していくことになる。
・契約や経理にどの通貨を用いるかは、事業にとって非常に重要である。金融業界紙や発券銀行自身によって、各通貨間の交換比率や公示された価値基準からの乖離が公表されるであろう。
・自動販売機、交通運賃、チップ、賃金などにより、小売取引において支配的な通貨というのは決まってしまう。通貨のあいだの競争は、企業間での使用に限定されるであろう。

第10章 貨幣の定義についての補論
・ある地域で受け取られる貨幣は一種類ではない。オーストリアの国境地帯では、シリングもマルクも通用した。合衆国とカナダあるいはメキシコの国境地帯でも同様だと信じている。
・ある客体が貨幣の資格を得るためには、広く受け取られる交換手段でありさえすればよい。貨幣的事象の因果関係に関する限り、貨幣と貨幣でないものの間に厳密な境界線はない。
・説明を単純化するために、消費財と資本財、耐久財と消耗財などの区別を設けることはある。このような分類が一義的であるかのように語ることは、経済学に多くの誤りを持ち込むことになる。
・明確に定義された法的擬制としての貨幣は、弁護士や裁判官の仕事のために取り入れられた。貨幣的事象を議論する上で重要なのは、受領性(流動性)と貨幣価値である。
・我々が取り扱いたいのは、法的擬制としての貨幣ではなく、受領性の度合が異なる一連の客体である。これを念頭に置くならば、貨幣よりも通貨という言葉が好ましく思えるのである。

(続く)

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